藩校の試験
入試や定期試験から小テストまで、 学校に通っている以上避けて通れない「試験」。
では、江戸時代の学校には 試験があったのでしょうか?
弘前藩藩校稽古館を舞台に考えてみましょう。
まず入学試験についてですが、藩校は武士の子弟が必ず行かなければならない学校だったので、入学試験はなくその家がどのくらいの地位についているかによって違いはありましたが、だいたい10歳くらいになると学校に通うことになったようです。
定期試験は4月、7月、10月、11月の年4回ありました。この回数は他藩の藩校に比べてかなり多かったようです。どんな試験だったかというと、学んでいる科目によってやりかたに違いがありました。
まず、子どもたちが入学してすぐに勉強を始める「素読」という試験では、自分がそれまでに勉強した本を持ってきて、試験官に指示された部分を読みました。読み間違いなく、はっきり読めればいいのですが、間違えたりすると減点されました。
また「素読」を修了した後に学ぶ「会読」の試験は、試験の10日前に試験範囲が発表されます。そして試験の当日、その範囲の中から2か所の内容を試験官に説明したり、答案用紙に書いたりしました。説明する部分はなんと当日のくじ引きで決められ、さらに試験官から追加質問をされたようです。これも正確に説明ができ質問に答えられればよく、説明がはっきりしない場合などは減点されました。 また、当時は先生から教えられた事をそのまま答えるのがよく、本で読んで得た知識や自分の考えを入れたりすればむしろ点数は低くなったようです。
成績は上の上・上の中・上の下……下の下まで9段階評価でした。さらに欠席の数が考慮されたのです。欠席が多ければ、どんなに試験ができてもよい評価はもらえませんでした。しかもその出席率は素読生の場合はなんと95%以上であり、とても厳しかったといえます。しかし、成績がよい生徒については多少欠席が多くても(例えば「伍長」という監督的な立場の生徒で、成績も優秀であれば85%以上)よかったようです。
この成績によって、最優秀生の場合で14歳の冬には素読から会読に進むことができたようですが、今とは違って出来が悪ければいつまでも進級できない(!!)という制度だったようです。
いつの時代も、試験は学生にとって大変なものだったんですね。
(写真:典句教授規 學規 考課規 祝文 弘前市立図書館岩見文庫所蔵)